2010年02月 アーカイブ

 中3修学旅行総集編

 2月22日(月)に修学旅行が終わりました。
1日目 広島  宮島にて厳島神社を見学。
        ホテルにて平和講話
2日目 広島  平和記念公園・平和記念資料館で見学
    神戸  神戸港震災メモリアルパーク
        人と防災未来センターを見学
3日目 大阪〜京都へ班別自主研修

4日目 京都  班別自主研修

5日目 京都  クラス別観光
    1組  保津川ライン下り
    2組  金閣寺→天竜寺
    3組  仁王門→由岐神社→本殿金堂→貴船神社
    4組  伏見稲荷神社→寺屋→月桂冠大倉記念館
    5組  平等院・鳳凰堂
    6組  伏見稲荷神社→平等院・鳳凰堂
    7組  仁王門→由岐神社→本殿金堂→貴船神社
そして京都駅に集合し、新幹線で東京へ帰ってまいりました。
(Y.Sekine)

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 総合講座「現代社会とマスメディア」3

 総合講座 中学1年・2年・3年対象「現代社会とマスメディア」3
 
 2月15日に行われた第4回目の「総合講座」は,校外からの3人目のゲストとして朝日新聞社記者の藤森研さんに来ていただきました。藤森さんは長年,社会部の遊軍記者やデスク(社会部次長)として活躍され,論説委員・編集委員を経て,現在はシニア・ライターとして健筆をふるっています。
 
 今回は,臨場感あふれる「日航機墜落事故」についてお話いただきました。以下はその内容を大雑把にまとめたものです。
 
 1985年8月12日。乗客・乗員524人を乗せて,18時4分に羽田空港を飛び立ったJAL123便が,レーダーから消えたという第一報が朝日新聞社入った時,翌日の朝刊担当のデスクのそばにいた藤森さんは,「藤森君。航空部員,写真部員らと社機で現場を探してくれ」というデスクの声を受けました。これが「世界最大の飛行機事故」取材の幕開けでした。
 
 すでに夜になっている山中を,時間をかけてジェット・ヘリで低空飛行していくと,川のように点々とつながっている真っ赤な火の模様がみえました。焦げたような臭いと煙がたっており,明らかに飛行機の墜落による痕跡でした。コンパスと分度器と地図によって,その現場が群馬県内の山中であることをつきとめました。他社のヘリはまだ到達しておらず,これは間違いなくスクープでした。ただ,その近くの上空に自衛隊のジェット・ヘリだけが,すでに2機到着していたことが印象に残っていたそうです。そこから見えたありのままの現場の状況を記事になるような形で,無線で本社に伝えました。これが朝日新聞の事故現場の第1報の「本記」になりました。朝日新聞は,その版で「墜落現場は群馬県内山中」と報じたのですが,その後,運輸省(当時)と自衛隊は,「長野県内の山中」と正式発表をしたため,朝日も次の版では,「長野県内に墜落か」という見出しに変えたようです。
 
 藤森さんはもう一度深夜にヘリを飛ばしてもらって事故現場に行き,測定した結果,「やはり群馬県内の山中」と確信を得たようです。しかし,運輸省と自衛隊は,長野県内山中という正式発表をあくまでも変えなかったために(しかも,後日確認すると実際の事故現場からかなり離れた地点),朝日新聞独自に「群馬県内」と打つかどうか,社の内部でもかなり長い時間に渡って激論が交わされましたが,結局,都内23区に配られる最終版の見出しは「墜落現場は長野・群馬の県境付近」になったということでした。
 
 墜落現場が,版によって群馬県と長野県で揺れながら,どのように最終版の一面に盛り込まれていったのかという話は,実は救出の場所を特定する極めて大切な情報であったこともあって,この事故を直接知らない中学生にとっても当時の緊迫感がひしひしと伝わってきたようです。
 
 運輸省と自衛隊が墜落現場を「群馬県内山中」と訂正するのは,10時間後のことでした。<なぜ,10時間も訂正が遅れてしまったのか>。この3月に記者を退職される藤森さんは,その理由を25年後の真実として,当時の運輸省や自衛隊などの関係者に改めて取材して書きたいと,その熱意を述べました。
 
 最後に,記者という仕事は,好奇心を持ち続けられ,様々な人々と出会える本当に面白い仕事であることを,生徒達に語りかけました。
 
 以下は,生徒の感想です。
 
「僕は改めてこの講習で情報を得るときは一つのものに頼るのではなく,いろいろなものを見比べて考えていきたいと思いました。ジャンボ墜落事件で生存者が4人しかいなかったというのは残念でしたが,深夜12時以降に,もう一度現場へ行って,ほぼ正確な墜落現場の位置などをつきとめたり,新しい情報を現場から伝えるなんてすごいと思いました。」(中学1年生)
 
 校外からのスペシャルゲストは今回がラストです。次回は,この講座の最終回のまとめとして,いままで学んできたことを振り返りながら,生徒・教員によるディスカッションを行う予定です。


 
                         <総合講座担当>
 




(講義中の藤森研氏)

 


 中3修学旅行最終日

 2月22日(月) 京都は晴れ
修学旅行が最終日となりました。現在は新幹線で
東京に向かっています。新幹線は予定通り走って
いますので、16:43東京駅着となります。

諸事情により掲載がストップし保護者の皆様には
大変ご心配をお掛け致しました。

明日以降に修学旅行を報告させて頂きたいと思い
ます。本日も写真の掲載がありませんがご了承頂
けたらと思います。

現在、名古屋に到着致しました。
最後まで気を付けて行きたいと思います。

 中3修学旅行2日目

 2月19日(金) 晴れ(一時雪と雨)
 修学旅行の2日目となりました。
 広島でガイドによる碑めぐり・平和記念資料館見学
 を行い原爆について勉強。そして広島→新神戸へ新幹線で移動。
 神戸で震災メモリアルパーク→人と防災未来センターで阪神淡路
 大震災の勉強をしました。そしてバスでリーガロイヤル大阪へ。
 今日はハードな1日となりました。
 広島を出る前に雪が散らつきました。出発も東京で雪。
 主任は雪男かもしれません。

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 中3修学旅行1日目

 2月18日(木) 雪
 中3修学旅行が始まりました。
 雪の影響で遅れる事なく、先ほど東京駅を7:50に
 定刻通りに出発しました。しかし、新幹線は速度を緩
 める関係で、名古屋から先の到着が若干遅れる予定ら
 しいです。
 N700なので無線LANがあり、新幹線の中からご報告
 致します。
 では、4泊5日を楽しんで来たいと思います。
 (Y.Sekine)

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 総合講座「現代社会とマスメディア」2

 総合講座 中学1年・2年・3年対象「現代社会とマスメディア」2

 
 第2回目となる2月8日は,日本経済新聞社編集委員の木村彰さんに来ていただきました。社会部の記者として長年活躍され,医療担当分野の責任者を経て,現在は編集委員を務められています。

 今回は,様々なメディアがある中で,新聞が担っている役割を中心にお話いただきましたが,その中で特に印象的だったのは次のような部分でした。
 
 <生活の中にインターネットが浸透していく中で,新聞という紙媒体が,もしかしたらなくなる可能性はあるかもしれないが,それでもジャーナリスト(記者)が多様な現場を丹念に取材することで,事実をより多面的に伝え,その裏に隠れた背景をあぶり出す中で権力をチェックし,読者に考える材料を提供するという側面が,新聞にとってのかけがえのない要素なのではないか。そして,それを豊かに発展させることこそが,実はこれからの新聞が生き残る最も大切な道筋であり,私たち記者が鍛えていかなければならないポイントだろう>
 
 ペルー日本大使館公邸占拠事件や阪神淡路大震災での実際の取材経験をもとに,なんとか取材対象に近づき,その背景を含めて,現場で起きた出来事を多面的に読者に伝えようとする記者としての熱意が伝わってきたように思います。
 集中して聴いていた生徒たちは刺激を受けたようで,新聞の見方が変わるような貴重な経験になったのではないかと思います。
 
 生徒の感想から,一部を抜粋します。
 
 「新聞の『編集委員』という提供する側の意見を聞くことができ,新聞をつくる人の情 熱や新聞の未来への不安がひしひしと伝わってきた。」(中学1年生)
 
 「社会の事件の裏には必ず“人”がいて,その本質を探ろうとする記者の思いがわかっ た。(中略)やはり,新聞には圧倒的な信頼感があるので,それを生かし,一つ一つの 事件について深くほり下げ,鋭い背景分析をすることで,購読者(国民,主権者)に深 い考察を提供し続ける存在であってほしい。」(中学3年生)
 
 次回2月15日は,朝日新聞社記者(元論説委員・現シニアライター)の藤森研さんをお招きする予定です。

 
                         <総合講座担当>
 

(講義中の木村彰氏)

 

(使用したチャート)

 

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